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■赤い糸

2009年03月18日

去年の暮れ近くになって、黒枠のハガキが届いた。
喪中につき年賀のご辞退をということであった。
奥さんが亡くなったという事である。

随分ご無沙汰していたが、瞬時に二十年前の記憶が蘇った。
世は挙げてバブルの狂想曲がかまびすかしかった頃である。

私とその先輩は、前日から東京に滞在し、
アメリカの富豪と商談していたのである。

バブルは地価高騰を招き、不動産屋を中心に金融バブルが(勿論一部である)
横行していた。私たち外車屋の一部もその尻馬に乗り、クラシックカーとか、
スーパーカーとかの話があったのである。

先輩はヤナセの元トップセールスで、良い顧客を多く持ち、
関西だけに止まらず、東京地方にも色々なルートを持っていた人である。

「ヤナセの元専務をしていた人からの話だけど、アメリカでベンツの540Kが
発見されたらしいんだ。それをレストアして日本に入れるから、プロジェクトの
一員になって協力してくれないかと言われているんだ」

私より10歳以上年上の先輩であり、業界での経歴もしっかりしており、
上質の顧客を持っていることや、顔の広さは私も知る所であったから、
私にこのように言ってくれたことに私は何の疑いもなく、
同行することにしたのである。

先輩は京都にオフィスのような事務所を持ち、新車や高年式車、
或いは注文の中古車を斡旋し、私は時々そのお手伝いをして、
条件にあった中古車を探したり、下取を買い取らせてもらったりしていた。

東京ではホテルの一室で、件のヤナセの元専務を交え、
アメリカ人の体格の素晴らしい壮年の二人と商談を交わした。

皆が流暢な英語を話すことに私は先ずビックリした。
元専務は血色の良い額の生えあがった、如何にも優雅な環境に染まった、
恰幅の良い老人であった。

私は英語などチンプンカンプンである。勿論会話などに入れる余地はない。
一般庶民といったら叱られるが、上流層というか、
知的な教養人も市井にこうして紛れていることに感銘したのである。

東京のホテルで食事をし、又部屋に戻り、
プロジェクトなる行方を私は傍観していた。

帰りの車中、新幹線のグリーン車の中で、先輩は機嫌が良かった。
背もたれの中の雑誌を手に取り、グラビアに京都祇園の
石部小路が載っているのを見ると、寄って行こうとまで言ったのである。

話の経過はこうである。カリフォルニアの農家から
何でもベンツ540Kスペシャルが見つかったというのである。

世界に現存するのは何台もなく、とても貴重な車だということだった。
その写真も見せてもらった。価値の良く分からない私には、
古びてとても仕上げて20億円という値がつく車には見えなかったが、
フルレストアの完成車は20億円以上で売るというのである。
バブルでしたなー。

でも教えられてみると、それくらいの希少価値は充分ある車だった。
1936年〜39年に406台が生産されたとある。
戦前のメルセデスの超高級車で、ヒットラーも愛用していたとある。

先輩にとっても久し振りの大口商談で、気概と自負が交差し、
果実が既に手元にあるような高揚が少し気がかりだったが、
そのまま興奮の余韻が、馴れ初めの話へと流れたのである。

京都駅で降りるとタクシーで石部小路へ向かった。雑誌のグラビアを飾った
瀟洒な雰囲気が仄かな行灯の中に浮かんでいる。
石畳の静まった路地裏を歩くとその店はあった。
店の中は和服の美人ママと、女の子たち。京都の知名人も来るという名門?
で(まあ雑誌に載るのだからそうなのだろう)、外の静かな雰囲気と違い、
店内は結構込み合ってざわめいていた。

「専務が仲人をしてくれたんだ」。公私に亘(わた)って世話になっていたという。
先輩は大阪が本社の大手商社へ、当時ヤナセ大阪地区の担当重役だった
専務の紹介で通っていたらしい。

社用車や重役の個人的な車などで結構往来しているうち、
重役付きの秘書の子と仲良くなったそうなのである。

「その日はアポを取っていたのだが、行くと留守で、
秘書の子にお茶でもと誘ったのだよ」

その子はとてもきれいで品が良く、それでいて笑顔が素晴らしい子で、
最初からなんと素晴らしい女性だろうと思っていたのだが、いつも仕事中だし、
そんな重役付きの秘書の子を誘おうなんて思いもしなかったのだが、
その日はどういう拍子か、留守ということで一遍に緊張の糸が
解けたのだろうか?先輩は自分の女房をこんな風に話すのは初めてだよと
付け加えた。年下で深い付き合いのない私が相手だったからだろう。

まあ、兎に角結婚まで行ったのだが、実は複雑な訳があったというのである。
秘書の子は会社でも美貌で有名で、それこそ有名、著名な筋からの
縁談も多かったそうなのだが、何故か彼女はいつも乗り気じゃなく、
その間隙を縫って、俺が猛アタックしたのだ。と先輩は言った。

彼女の母親は彼女が小学生の頃に死亡しており、
彼女は後妻さんの元で育てられたらしい。辛い少女時代といっていたよ。
そしてお父さんが何と秘書をしている重役だというのだからビックリしたよ。

大学へ入ると同時に家を出、そしてずっとアパート暮らしだったらしい。
結婚には紆余曲折もあり、父の重役は半ば怒り気味で、
それが逆に彼女の目を俺に向けさせたのだろうかな?

一度疎遠になり、そんな身の上話を色々聞かされていた俺は、
2ヶ月余りもアパートを訪ねていなかったのだが(その頃鍵を預かる
身だったそうである)、何故かある夜気になり、
遅くの時間にアパートを訪ねたんだ。

彼女の部屋の電気は消えていた。躊躇したまま帰ろうとした時、
何と彼女が帰宅したそうなのである。

「なあ、俺は『赤い糸』ってあるだろう。絶対それを信じているんだ」
彼女は俺との縁が切れたのを期に、気まずかった後妻とも、
大人になり分かり合える分も出てきて、家に帰り、そのまま親の勧める
結婚をしょうと決めたそうなのである。

「何しに来たの?」彼女は暗闇の中の俺を見て驚き半分、
でも冷たく言ったよ。「このアパートはもう出るの。もう荷物も片付けたし」

彼女もその夜、何故、然も遅くに立ち寄ったかわからないという。
最後のほんの瞬間の出会いがなかったら、俺たちの結婚はなかった。
「本当にあの夜は本気で涙が流れて流れて、俺たちは本当に結ばれたんだ」

彼女は進んでいた結婚を捨て、それは親との別れも意味していた。
「まあ、俺のところへ来て、いい目は見なかっただろうが、
赤い糸に導かれて一緒になった」とだけは確信できた。

20年前の夜の季節は、ひんやりと空気が冷たく、初夏が目前だった。
石部小路のクラブは賑わい、俺たちの会話を放っておいてくれた。
俺と先輩は奥のボックスで、若くきれいな女の子が作ってくれるウィスキー
をちびりちびりやりながら、話を進ませた。聞き役は俺と2人の女の子だ。
女の子も真剣に聞き役に廻るから、先輩も手を抜けなくなっていたようだ。

よく話半分というが、その後お目にかかった(こういう言葉が適切な)
奥さんは、先輩の話以上にきれいで上品な人であった。

その後バブルが弾け、アメリカ人も交えたこの壮大な
プロジェクトの行方がどうなったかは知らないが、先輩が多大な負債を抱え、
東京へ行ったという話が流れて以降、すっかり疎遠になっていた。

随分昔、その奥さんの実家だとある人から教えられたが、
そこは閑静な千里の高級住宅地の中でも、一際目立つ大きな邸宅で、
大きな庭の木が由緒ある歴史を示していた。

ふと記憶の片隅で、その広大な敷地がいつの間にか更地になり、
大きく茂っていた庭の木々も取り払われていた事を思い出した。

その後別段、何も気にすることもなく、季節の風化の中で、
その当たりは細かく分譲され、見慣れた一般住宅地の景色となっている。

人の人生も街の景観も、ふと気付くと大きく変わっているということは良くある。
いつの間に、知らぬ間にである。うかがい知る事の出来ない一方で、
その出所の信憑性はこれまた真偽の程が定かでない。

時が全てを押し流し、時が全てを解決する。
バブルの欲糸業糸、心の縦糸横糸。絡み合った世間のしがらみの船が、
大海の果てない浮世を翻弄され渡り行く。

20年という歳月さえが、遠いやら近いやら覚束なくなり、
様々な変遷の中で、記憶さえが曖昧になっていくこの頃である。
でも確かに存在した事実の一片を、突如として髣髴とさせたハガキだった。

誰にも人生があり、それは時に思いがけない物語を秘めている。
遠い話に更に遠い、少年の頃の記憶が重なった。
「衣の楯はほころびにけり」である。義経が東北奥州で滅びる様を、
昔の少年雑誌のきらびやかな描写が美しかった。
義経の鎧の直垂(ひたたれ)の赤い糸がほころびていたのである。

「衣の楯」の衣は、衣川の衣であり、楯はその辺(ほとり)に立つ館の事である。
藤原一門が頼朝の軍勢の前に、義経共々まさに消滅せんとしている。
一瞬の栄華は、末路の哀れ悲惨を以て、尚更輝けるとしたら、
つくづく人生とは皮肉なものである。

遠い記憶に思いを寄せようとしたのだが、
あのきれいで上品な奥さんの顔がどうしても思い浮かんでこなかった。
季節は時にある時期を急ぎ足で通り過ぎる。
赤い糸の一方を失った先輩の消息は矢張りそのまま遠いままである。

伏見谷 徳磨

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