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■昭和ランダム よもやま話

2007年08月31日

ご存知だろうか。今はすっかりコンピューターによる電子化だが、
昔の車はそれこそ機械式でオイルの匂いと職人芸がまかり通っていた。

マツダクーペやキャロルの時代。
出張修理の3点セット、5点セットなるものがあった。
あの頃は部品の素材というか、品質が悪かったのだ。
プラグやデスキャップ、ローター、ポイントがそれで、よくひび割れがして、
電気漏れを起こし、雨の日など随分エンストが多かった。

日本人の勤勉性でそれらの欠陥は一気に良くなっていくのだが、
まだまだ外車の方が信頼感が厚かった。

スローなキャロルが、1人前の自動車を気取って水冷4気筒を
謳(うた)っていたが、パブリカ、カローラ、サニーと移り変わる頃には、
スカイライン、セリカ、レビン、ベレットと日本の自動車は
各メーカーが実に多彩な車を発売し始めていた。

そしてスポーツカーはキャブレターに工夫が凝らされていた。
SUツィンキャブとかソレックス、そしてウェーバーとかである。

私は特に頓着(とんちゃく)がなかったが、キャブレターの調整に
修理工が勘を凝らす話には納得させられた。

それはニードルバルブなるものの微調整である。これを微妙に調整して、
ガソリンの出を調節し、デリケートなるスポーツカーのエンジンの調子を
高めるというのであった。

値段というか、高価なる順番があって、SUキャブ、そしてソレックス、
ウェーバーの順で高かったと思う。

その頃のハードボイルド小説によく登場していたが、
羊の皮を被った狼とかで、ブルーバード3Sが大活躍していた。
外見は普通だが走らせると狼のように凄いという売りで、
ウェーバーの3連装キャブ装着がその秘密だった。

ゴボッ、ゴボッとアクセルを踏み込むとキャブがガソリンを吸引し、
あの頃の車は人間の感覚で体感し得た。

その頃の若者にはラリーが流行っていた。
サニーGXやレビンが主流だったろうか。サニーは軽量ボデーで
兎に角速かった。5速ミッションで尻を振りながら走る。
レビン、トレノはいわずとトヨタのライトウェートのスポーツモデルである。
2TGのツィンカムエンジンは一世を風靡したものである。
確かサニーはSUで、トヨタはソレックス?だったかな、曖昧だが。

まあいずれにしても、次に出たセリカはかなり本格的な
スポーツモデルで、GTにはソレックスが着用されていた。

日産はこの他、最高級のセドリックGXにもSUキャブを使用していた。
私も20代のこの時期、セドリックGXを愛用し、
重いボディーを2000CCのエンジンとSUキャブ、
5速ミッションに頼って走り回っていた。単にメーカーの数値に踊らされ
喜んでいたのだ。

市場は日産、トヨタを中心にして、あの頃はひしめき合い、
せめぎあっていた。いすゞはベレットGTを出し、
日野はコンテッサを出し、この車などはもうない。

トヨタはパブリカをコンバーチブルとして出し、
最後の結晶にスポーツ800として世に送り出した。
ヨタ8の名を懐かしむ人も多いだろう。
このライバルにはホンダがS600、S800と出し、
評価が高かったものである。

何しろ本田は創業者の宗一郎が伝説的人物である。
マインドは速さとスポーツカー志向だろうか。兎に角ホンダは速かった。
よく引き合いに出すが、スロー代表はキャロル。
それに比し、N360は速かった。軽四で同じ水冷エンジンだが、
能書き無用で速かった。高速道路を車高短(シャコタン)で、
危なっかしいくらいのスピードで走っていたものである。

宗一郎(呼び捨てでごめんなさい)は技術志向で、
二輪車(バイク)から身を起こし、
相棒の藤沢さんと世界に冠たる企業を為したのだから凄い。

だが宗一郎の失敗談もあるのである。それは4ドアのセダンで、
空冷エンジンに執着した高性能スポーツとかの売り出しだったが、
どうにもデザインその他で人気が出ず、程なく販売中止となった車である。

型式も忘れたが、グリルのデザインが個性的で、ボディーも長く、
売っても赤字になるほどコストを掛けた車ということだったが、
どうにもユーザーにはすっきりと迎えられず、
カリスマ宗一郎も皆に押し切られ、以降、時代の象徴の存在となり、
現場の仕事は若手に移行したと巷間(こうかん)聞いた気がする。

こう見るとやはり車は総合力ということになるのだろうか。
デザインだけではままならず、性能はエンジン、足回りとのコンビである。
フィーリングも欠かせない。パネルのメーター類、ペタルの位置、
売れる車というのは中々難しい。

こんな中を勝ち抜き、勝ち抜き世界の頂点に立ったトヨタには、
やはりそうなるべき要素が幾つもあるのだろうが、
その一つに私は耐久性を挙げれると思う。

頑丈という無粋ではないが、長期間使い、キロ数が伸びても
トヨタ車には、三河武士の質実剛健というか、
旧き良き日本の昔の雰囲気というか、
手作りの愛情に似た匂いが感じられるのである。

これはやはり企業の歴史が醸(かも)し出すものだろう。
創業家の苦労を受け継ぎ、遺伝子を受け継ぎ、
慢心しないこと・・なのだろうか。

ホンダも然り・・、他のメーカーもそうなのだろうが、
世界が益々ボーダーレスになる中、先人が築き上げた職人芸を、
しっかり守って日本車にはずっと活躍して欲しいものである。
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伏見谷 徳磨





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